武禅修行へGO!

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4.自信のつけ方 Presented by

〜禅問答『普通とは何か』〜

電脳山 養心寺山門前道場


 老師は作務のあと、木刀で素振りをする。
老師の素振りは一見すると印象がない。力強さも速さも特に感じない。
しかし、老師の素振りを見るものが見れば、かなりの腕前だと分かるだろう。
「一見すると印象がない」ものが、「見るものが見れば」かなりの腕前だと分かる部分。熟練者が何の気なしの普通にするもの。

 このことを養心寺の教義では、「おはぎ名人のおばあちゃんのおはぎ」で現した。

無意識の壁


“普通”は意外に難しい

ここに美味なる“おはぎ”がある。

作ったのはとあるおばあちゃんだ。 このおはぎ名人に、どのようにして作ったのかを尋ねると、おばあちゃんは こんな風に答えてカラリと笑う。

「なんのことはないの。普通に作っただけなんだから」

これまで塩加減や小豆(あずき)ともち米の銘柄やその炊き方などの詳細なレシピを教わった人はいたけれど、その誰一人として、おばあちゃんの言っている“普通”の正体を突き止めることはできなかった。 このおはぎ名人のおはぎは、おばあちゃんの死後には誰も食べられなくなるだろう。 いや、もしかしたらレシピさえ残しておけば、“普通”の正体を暴き出し、おはぎ名人の味を復活させる者がいずれ現れるかもしれない…。

観察(ヴィパッサナ)の技法は このおはぎ名人のレシピみたいなものだ。 そこにはレシピだけでは伝えることのできない熟練者だけが知っている“普通”がある。 その“普通”の正体を体得できなければ見性することは難しい。 その見性を阻んでいるものが“無意識の壁”だ。

肴はとくにこだわらず参照:【坐禅作法88】無意識の壁


矢印マーク  参照:肴はとくにこだわらず
【坐禅作法88】無意識の壁
林KAZの人生を変えたバイブル。勇気を出して実践あるのみ!


ウソがやめられない


 稽古の後、老師はお茶で一服をしながらおはぎを食べ、つかの間の一時を楽しんでいた。そんな時、またあわただしい叫び声が聴こえてきた。

「老師~!老師~!」


『おお、カズキか。久しぶりじゃな』

「老師、聞いてください!あれから日常生活では、サボること、ズルすることをやめました。でも、ウソがやめられません!先日職場のカップを割ってしまった時も、つい隠してこそっと捨ててしまいました。大事なExcelのデータを間違えて消した時も、バレるまでほっといて、問い詰められた時、つい「僕じゃない」と言ってしまいました。「正直に」「正直に」と思っていても、ついつい真逆の行動をとってしまいます!どうしたらウソがやめられるのか、教えてください!」

『ふむ、瞬発的に隠してしまったり、ウソが出たりするわけじゃな』

「そうです。無意識です。気づいた時には時すでに遅し。隠したり、ウソをついたりしています。もう自己嫌悪ですよ」

『ふむ。行住坐臥で修行しており感心じゃな。ウソをつくのをやめるのは簡単じゃ』

「えっ?簡単じゃありませんよ~。本当に苦労してるんです!意識はしてるんですが、気づいたらパッと隠したり、口からウソが出ています」

『おぬしはウソをつかないように意識しておるのか?』

「はい、もちろんです!」

『ふむ。〈ウソはつかないようにしよう〉と意識すればするほど、考えれば考えるほど、ついつい口から出てしまうもんなんじゃ』

「えっ?どういうことですか?」

『ウソをやめるには、ウソをやめようと努力しても無駄なんじゃ』

「えっ!?無駄なんですか?ではどうすればいいんですか?」

『ふむ。ところでカズキ、おぬしの職場の机や引き出しは、綺麗に整理・整頓されとるか?』

「老師~、愚問ですよ!仕事を一生懸命頑張っているんですよ?机や引き出しなんか整理している暇なんかありません!滅茶苦茶散らかっていますよ!」

『うむ、正直に答えたことはよろしい。今はウソをつかなかったのぉ』

「ありがとうございます。僕も毎回ウソをつく訳じゃないんですよ」

『ウソが口から出たり出なかったりするんじゃな?』

「はい。かなり不安定な状態です」

『うむ、ではなぜ不安定な状態なのか分かるかのぅ?』

「老師、愚問です。それが分からないからここに来ているんですよ~!老師、助けてください!!」

『ふむ。ワシが助けることはできんが、おぬしなら自分で気がつき、解決できるハズじゃ。ヒントを授けよう』

「ありがとうございます!ヒントとは一体なんでしょう?」

『ふむ、ここは禅寺の道場じゃ。大・中・小、様々な企業が、新人研修で坐禅会を申し込んでくる。企業が人材を送り込むのは、なぜじゃと思う?』

「皆目検討もつきませんが、やはり老師の“喝”じゃないでしょうか。老師の喝で、学生気分の抜けない、たるんだ精神を引き締めるためじゃないですか?」

『ワシの喝はさておき、おぬしの目の付け所は大体的を得ておる。勘が働いており良好じゃ』

「ありがとうございます!やはり、お寺の道場で坐禅を組むと心機一転、〈さあ、がんばろう〉ってなりますよね!」

『うむ。まあ小さなきっかけじゃな』

「はい!」

『では心機一転して、実際に何をすれば心機一転したと言えよう?』

「えっ!?実際にですか?何をすれば?・・・な、何でしょう・・・?」

 僕は答えが思い付かない事に罪悪感を感じた。更に、もし間違えてしまったら老師に大声で喝を入れられてしまう、と怖くなった。
ダメだ、頭がこんがらがって何も思いつかない!でも叱られたくない。そうだ!ここは今の気持ちを正直に答えて許してもらおう!

「色々こんがらがって整理がつきません。老師、すみません!一度きちんとしてから出直してきます!」

『うむ、おぬしはやはり見処がある。そのとおりじゃ!まずは整理じゃ』

僕の適当な謝罪の言葉がまぐれ当りして頭が一瞬真っ白になった。ふと我に返った時、少し恥ずかしくなって、はにかんでしまった。すると老師は、

『うむ、おぬしはやはり見処がある。では続きをお話ししよう』

と、心機一転してからのことを、お話しをしてくださいました。


フランクリン「十三徳樹立」


これは『プロ倫』で度々引き合いに出されていたため大学時代に一度読んでいた。
その後もどういうわけか手放せず本棚の一隅を飾り続けていたのである。
時宜(じぎ)を得た29歳。『フランクリン自伝』を再び読み返してみることになる。

彼はアメリカ資本主義の父と呼ばれ100ドル紙幣の肖像でも有名な人物。
フランクリンを成功に導いたのもプロテスタント的発想であったから、20代のボクとフランクリンの発想の違いを突きとめる必要性を感じたのだ。

そもそもフランクリンは宗教の本質を見つめようとしていた人物なので、特定の宗派には属さなかった。したがって純粋なプロテスタントとはいえない。

とはいえその発想は極めてプロテスタント的なのである。

確実に、不変に、つねに正道を踏んで違わぬという自信を少しでもうるためには、 まずそれに反する習慣を打破し、良い習慣を作ってこれをしっかり身につけねばならない…。

(『フランクリン自伝』岩波文庫-P.136「十三徳樹立」)



ここで言う“つねに正道を踏んで違わぬという自信”は救いの確信に他ならない。
その救いの確信は自発的に習慣を変えれば得られると説いているのである。

しかもフランクリンは具体的な方法論まで書き残してくれていた。
それが23歳頃に樹立したという『十三徳』。
これは自分にとって欠けていると思われる徳を十三にまとめた戒律である。

○節制…飽くほど食うなかれ。酔うまで飲むなかれ。
○沈黙…自他に益なきことを語るなかれ。駄弁を弄(ろう)するなかれ。
○規律…物はすべて所を定めて置くべし。仕事はすべて時を定めてなすべし。
○決断…なすべきをなさんと決心すべし。決心したることは必ず実行すべし。
○節約…自他に益なきことに金銭を費やすなかれ。すなわち、浪費するなかれ。
○勤勉…時間を空費するなかれ。つねに何か益あることに従うべし。無用の行いはすべて断つべし。
○誠実…詐(いつわ)りを用いて人を害するなかれ。心事は無邪気に公正に保つべし。口に出だすこともまた然るべし。
○正義…他人の利益を傷つけ、あるいは与うべきを与えずして人に損害を及ぼすべからず。
○中庸…極端を避くべし。たとえ不法を受け、憤りに値すと思うとも、激怒を慎むべし。
○清潔…身体、衣服、住居に不潔を黙認すべからず。
○平静…小事、日常茶飯事、または避けがたき出来事に平静を失うなかれ。
○純潔…性交はもっぱら健康ないし子孫のためにのみ行い、これに耽(ふけ)りて頭脳を鈍らせ、身体を弱め、または自他の平安ないし信用を傷つけるがごときことあるべからず。
○謙譲…イエスおよびソクラテスに見習うべし。

(『フランクリン自伝』岩波文庫-P.137-138「十三徳樹立」)



これを毎日検査するという単純な方法論である。
この『十三徳』の効験をフランクリンはこう述べている。


大体から言えば、私は自分が心から願った道徳的完成の域に達することはもちろん、 その近くに至ることさえできなかったが、それでも努力したおかげで、 かような試みをやらなかった場合に比べて、人間もよくなり幸福にもなった。 ちょうど法帖(ほうじょう)を手本として完全な筆法を会得しようとする者が、 手本通りの理想的な筆蹟になることはできなくても、 骨折っただけ筆蹟がよくなり、きれいに明瞭に書いてさえあれば、 相当見られるようになるのと同様である。

(『フランクリン自伝』岩波文庫-P.147「十三徳樹立」)


この物語を書いている数え年で七十九歳になる今日まで 私がたえず幸福にして来られたのは、 神のみ恵(めぐみ)のほかに、このささやかな工夫をなしたためである。

(『フランクリン自伝』岩波文庫-P.147「十三徳樹立」)


久しい間健康を保ちつづけ、今もなお強健な体格を持っていられるのは、 節制の徳のおかげである。若くして窮乏を免(まぬが)れ、 財産を作り、さまざまの知識をえて有用な市民となり、 学識ある人々の間にある程度名を知られるようになったのは、 勤勉と倹約の徳のおかげである。 国民の信頼をえて名誉ある任務を託されたのは、 誠実と正義の徳のおかげである。またつねに気分の平静を保ち、 人と語るさいには快活を失わず、そのために今日も親しみ近づこうとする人が多く、 若い知人からも好感を持たれているのは、 不完全にしか身につけることができないでしまったものの、 右にあげた十三の徳が全体として持っている力によるのである。

(『フランクリン自伝』岩波文庫-P.148「十三徳樹立」)


それで私は、子孫の中から私の例に倣(なら)って利益を収めようとする者が出て来ることを希望するのである。

(『フランクリン自伝』岩波文庫-P.148「十三徳樹立」)



思えば大学生の頃は若気の至りで実践しようとまでは考えなかったわけで、29歳を迎えていたボクはその切実さゆえに謙虚になっていたのだろう。
その歳になってようやく『十三徳』を真似てみることにした。

当然、最初は戒律の遵守ばかりに気をとられていたので何もなかったけれど、どういう考え方をしたら戒律を遵守できるかを考え始めた頃から効果は現れた。

自分の周囲の環境が変わるのである。


矢印マーク  フランクリン自伝 (岩波文庫)

 林KAZは36歳の時、これを手に取り朧気ながら十三徳を実践しようと試みたことがある。フランクリンは23歳で「十三徳」を樹立し実践。恥ずかしながら今にな ってこの大切さに気づきました。

矢印マーク  参照:肴はとくにこだわらず
【坐禅作法34】葬式仏教をぶっとばせ!
フランクリン自伝 本の紹介
林KAZの人生を変えたバイブル。勇気を出して実践あるのみ!


つねに正道を踏んで違わぬという自信


「フランクリンの十三徳は、ちょっと多すぎて大変です。覚えるのも、実行するのも、面倒くさいですよ」

『また面倒くさいか…。フランクリンは、〈つねに正道を踏んで違わぬという自信〉を持つためには、〈自発的に習慣を作ってこれをしっかり身につけねばならない〉と説いておる。〈規律…物はすべて所を定めて置くべし。仕事はすべて時を定めてなすべし〉とある。まずは机の上と引き出しから、整理してみてはいかがかな?』

「まあ、老師がそこまでオススメしてくださるなら整理してもいいんですけど、それって本当に意味があるんですかね?」

『意味があるかないかは、やってみてからじゃ』

「理屈はあとからってやつですね!分かりました。試して来ます!」

『うむ、その調子じゃ。しっかりと断捨離してくるんじゃ』

「はい!分かりました!ところで老師、断捨離って何ですか?」

『調子に乗るでない!自分で調べるんじゃ!それが自得の第一歩じゃ』

「すみませんでした~!」

 こうして僕は家路につき、断捨離について調べた。


断捨離


 モノの片づけを通して自分を知り、心の混沌を整理して人生を快適にする行動技術

 家のガラクタを片づけることで、心のガラクタをも整理して、人生をご機嫌へと入れ替える方法

 片づけを通じて「見える世界」から「見えない世界」に働きかけていく。そのための行動とは、

「断」=入ってくる要らないものを断つ
「捨」=家にはびこるゴミ・ガラクタを捨てる

 そして「断」と「捨」を繰り返した結果訪れる状態を、

「離」=モノへの執着から離れ、ゆとりある“自在”の空間にいる私

と定義づけます。断捨離は単なる掃除・片づけとは異なります。
「もったいない」「使えるか」「使えないか」などのモノを軸とした考え方ではなく、「このモノに自分にふさわしいか」と問いかける。
つまり主役は「モノ」ではなく「自分」
「モノと自分との関係性」を軸にモノを取捨選択していく技術です。
「このモノは使える」ではなく、「私が使う」という考え方。主語は常に自分。
そして、時間軸は常に「今」
今の自分にとって「不要・不適・不快」なモノをただひたすら手放し、「要・適・快」なモノを選んでいく・・・。
その作業は「見える世界」から「見えない世界」に働きかけ、結果、自分自身を深く知ることに繋がります。
そうすると、ココロまでもがす~っと軽くなる。
ありのままの自分を肯定できるようになります。

参照:やました ひでこ著「新・片づけ術 断捨離」P5~7



「断捨離」…モノと人との関係性に焦点を当てて行動へと結びつけること


 思えば、私たちの生活は「足し算」の連続です。あれも欲しいこれも欲しい、街へ行けばモノで溢れかえっている。
けれど物理的にも精神的にも、自分たちを「混乱させるようなモノ」まで背負い込んでいないか?

高野山での生活を間近に見て、
足し算の生活から引き算の生活へとシフトチェンジ
する重要性に気づかされました。

そこで結びついたのが、かつてヨガ道場で学んだ「断行」「捨行」「離行」。
欲望を断ち、執着から離れるための行法哲学です。
それをモノと人との関係性に焦点を当てて行動へと結びつけることはできないだろうか。
そうして思いおこした言葉が「断捨離」でした。

参照:やました ひでこ著「新・片づけ術 断捨離」マガジンハウス文庫 P8


矢印マーク  やました ひでこ著「新・片づけ術 断捨離」

目に映るもので自分の行動が決まる。最初の決断は、過去の(思い出の詰まった宝)物を捨てることかもしれない。



モノを整理すれば、心も整理できるということ


 なるほど、断捨離とは〈モノの片づけを通して自分を知り、心の混沌を整理して人生を快適にする行動技術〉らしい。

 言われてみれば、僕たちの生活は「足し算」の連続だ。「あれが欲しいこれも欲しい」「もったいない」「使えるか」「使えないか」とモノを主役に考えて、必要ないものまで目一杯抱え込んでいる。

 僕の持ち物の大半は、「またいつか使うからと、取っておいたモノ」「人から貰ったから、捨てるに捨てれないモノ」「使わないけど、捨てるのはもったいないし、それなりに愛着があるモノ」「部屋に溶け込んでいて、ずーっとあるガラクタやゴミ」。
どれが宝物で、僕に必要な物なのか、よくわからない。

 まず最初にやるべきことは、〈「このモノは使える」といった、モノを主語にした考えをやめて、「僕が使うモノは何か」といった、自分を主語にした考えに改めること〉らしい。

 考えを改めるためには、まず行動する。今の自分にとって「不要・不適・不快」なモノをひたすら捨て、物理的に自分を「混乱させているモノ」を手放し、手元には「要・適・快」なモノだけを残す。断捨離は、「見える物理的な現実世界」から「見えない心の世界」に働きかける。

〈断捨離をすれば、自分自身を深く知ることに繋がり、心までがす〜っと軽くなり、更にはありのままの自分を肯定できるようになる〉らしい。

 なるほど、モノを整理すれば、心も整理できるということか。

 この程度の認識で、僕は少しづつ、コツコツとできる実現可能な目標を立てて、実行すると決めた。


整理・整頓。たったこれだけのことで手応えを感じた


 翌日僕は、まずは散らかった状態をキレイにするために、早速机の上と引き出しの整理をするべく、いつもより一時間早く出勤した。
いざ「使わないモノ」「不要なモノ」「もったいないと思うモノ」を捨てるとなると、心が切なくなる。それでも僕は、僕が使うモノ、使いたいモノだけを残すため、なるべく捨てることを心掛けた。

 一時間では時間が足りなかった。とりあえず、捨てるに捨てれなかったモノは、大きい一番下の引き出しに一旦保留で詰め込んだ。また明日再挑戦しよう。明日は30分早く来て整理しよう。


 一日の勤務時間が終わった。あまり効果を感じなかったが、まあ最初から上手く行けば、誰だって整理・整頓ぐらいするだろう。
効果の有無は出ようか出ないかは気にぜず、気長に続けてみよう。


 次の日も、また次の日も、大きい一番下の引き出しに保留したモノとにらめっこした。やはりなかなか捨てられない。
「このモノは、仕事でまた使うんじゃないかな?」「これはどうかな?」といった具合にブレまくる。気づけばいつの間にか、僕が主語でなくなり、モノが主語になっている。
少し油断したら、すぐにモノが主語になる。恐るべし、モノ。こんなに僕を縛ってくるなんて…。
よし、主語は僕だ!僕はこのモノをいつ使うんだ?う〜ん、いつかわからない…。老師も言っていた。『考え過ぎは良くない』
 わからないものは、わからないままにぜずに、思い切って捨てる!今までの僕は、優柔不断で決められなかった。今の僕は、このルールでとにかく捨てる!少し破れかぶれだけれどもしょうがない。

 僕は保留中のモノを、スパッと捨てた。

 たったこれだけのことだけど、僕はものすごく手応えを感じた。

 継続は力なり。小さなことからコツコツとする。僕は実現可能な目標を三つ立てた。

(1)使ったモノはすぐに戻すこと。
「また使うから」といってそのままにせず、元の位置に置く。  
(2)帰るまでの三分間で、もとどおりキレイな状態にすること。  
(3)毎朝少し早く出勤しすること。


 最後の毎朝少し早く出勤することは、前日の整理・整頓が不十分でも、もとどおりにキレイな状態に戻せるし、もし余裕ができれば、整理・整頓の仕方を見直する機会にもなるから、入れておいた。

さらに目標の設定値を下げて実現可能にするため、僕はこの三つの目標のうち、「目標の1つでもクリアできればよし」とした。


 するとどうだろう。一度キレイにした机の上と引き出しは、僕がなるべく使ったモノを、すぐ元の位置に戻すよう心掛けるだけで、そこまで散らからなくなった。仕事の忙しさ、慌ただしさで押し込まれ、つい散らかってしまったとしても、帰るまでの三分間、整理・整頓をすれば、もとどおりキレイな状態に戻せるようになった。忙しさに負けてしまった時も、翌朝の三分間、仕事前に整理・整頓をすれば、前日の雑な整理・整頓をもととおりにでき、机の上と引き出しはキレイな状態を保てた。


 さらに二週間が経過した。僕は目標をストレスなく継続してクリアできるまでになっていた。机の周りを整理・整頓することは、誰でもできる小さなことだ。こんなちっぽけなことではあるが、僕は手応えを感じ、なぜか少し自信がついた。


『ようやった。普通、言われてもせん』


「老師~、ありがとうございました!!」

 僕は今までのことを事細かに説明した。

『うむ、ようやった。普通、言われてもせん。それをようここまで展開したもんじゃ。ワシは素直に嬉しいぞぃ』

「老師のおかげです!誰でもできる机の整理・整頓を、普通にできるようになっただけで、なんだか自信がつきました!」

『うむ。誰でもできる机の整理・整頓で、なぜ自信がつくんじゃろう?』

「なぜですかね?単純に今の僕の気持ちは、〈誰でもできることが、普通にできるようになったから〉なんです」

『うむ、そのとおりじゃ!おぬしはやはり見処がある。そのように理屈は後からわかるもんじゃ』

「えっ?老師、自信は、できなかったことが普通にできるようになった時につくんですか?」

『おぬしがそう言うたんじゃ。おぬしの自信のつき方はそうであろう。もし違うなら、過去を振り返り、自信のついた時のことを話してみればよかろう?』

「はい、わかりました!僕の過去で自信がついた時は、人よりテストの点数が高かった時です!」

『カズキ…、それは他人と比べて優越感に浸っておるだけではないのかい?』

「いや、そんなことはありません!これが僕の自信がついた時のお話しです!」

『ふむ。それでは今でも勉強を、続けているおるのか?』

「老師〜、愚問ですよ!続けているわけないじゃないですか!あんな面倒くさいモノやる意味ないですよ!それこそ断捨離すべきは、テスト勉強です!」

『続けておらんの』

「はい」

『では、おぬしのテスト勉強で自信を得た話しを聞こう。どのように真似すれば自信が付くんじゃ?』

「簡単ですよ!条件としては、自分より勉強できないバカな奴がいることです。勉強できない奴に、〈なんでこんな簡単な問題も解けないんだ?〉と問い正してみたり、そいつに勉強を教えた時の、苦しみ悩む歪んだ表情を見た時に、〈嗚呼、僕はこいつみたいな馬鹿じゃない。本当によかった〉と再認識することです。これで自信がつくんです!」

『…カズキ、それを世間では〈優越感に浸る〉というんじゃよ』

「…えっ!?本当ですか!?」

『うむ。まちがいない』

「す、すみませんでした〜」

『ふむ』

優越感


 優越感とは、自分が他者より優れているとの認識、およびここから生じる自己肯定の感情である。多くの場合において自尊心の一端に位置する感情である。優等感(ゆうとうかん)ともいう。対義語は「劣後感」または「劣等感」。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』参照: 優越感

自信


 自信(じしん、self-confidence)とは、自己を信頼する気質、徳目である。

 概要
 人間が自らの能力、知識、信念などを信頼している精神の状態を意味する。自信があればうまくいくと自分を信頼し、未経験の領域に挑戦する場合でも自己不信や戸惑いを克服することができる。自信を獲得するためには家族や他人との人間関係、社会の中での生活などを通じて、経験を蓄積しながらそこから得られた知識や教訓を建設的に活用しなければならない。つまり自分がうまく物事を進める力量の結果として自信は内面化される。洗脳や催眠といった手法でも自信は獲得できるとされるが、実際の行動で問題となる可能性が高まる。 自信の影響力は大きく、それは人生観や生き方を方向付けることがある。スポーツ選手などの身体能力も自信によって引き出される可能性がある。一方で自信過剰は慢心や驕りになる危険がある。逆に自信喪失すると、思考は停滞して行動は消極的となるか、自信喪失の反動からしばしば虚栄心が頭をもたげて自分自身を虚飾し、実際の自分よりも良く見せようとする、完璧主義に走ったり何かに依存するといった状況に陥ることがある。


フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』参照: 自信


僕の自信のつけ方は、できなかったことが普通にできるようになった時


「老師。僕の自信のつけ方は、できなかったことが普通にできるようになった時だったですね!今までの僕は、誰かと比べた時、〈自分の方が上だ〉〈勝った!〉と思った時に、自信がつくと思っていました。これは間違いだったんですね」

『うむ、勘違いじゃ。どんまいじゃ!』

「もしかしてこれって、結構大切なことじゃないですか?うわぁ~、これはもっと早く本当のことを知りたかったですよぉ~。でもこれからは、〈継続は力なり〉〈小さなことからコツコツと〉〈目標値は実現可能なところまで下げる〉〈できないことで一番簡単な、誰でもできるようなことを、普通にできるように〉という手順と順番を守り、自信をつけていこうと思います!」

『うむ。あっぱれじゃ!とうとう行住坐臥の基礎・基本を身につけたようじゃな』

「えっ?これが行住坐臥の基礎・基本ですか?僕は基本を身につけたんですか?」

『うむ、ここからじゃ!まちがない武道修行のはじまりじゃ』

「ここからがスタートですか…。ここまで来るのに一年もかかりました。もっと早く来たかったです」

『うむ、そう思うかもしれん。効率を求めて言われるがままに、ただやるだけでは身につかん』

「たしかに!僕がここまで来るのには、自発の行動と、心境の変化が必要でした。なるほど、だから僕の武道の腕前は、指導者の言うとおりのことを、ただ繰り返し行っていただけだから、一向に上達しなかったんですね!だから行住坐臥。まずは仕事をして、日常生活の中から心境を変えて行ったわけですね!」

『ふむ。普通は些細で簡単そうじゃが、実はなかなかうまくできん』

「なぜ普通は、なかなかうまくできないんですか?」

『うむ。おぬしは約一年、電脳山 養心寺に通い、普通を一つ身につけたわけじゃ。理由は聞くまでもなく分かるはずじゃ』

「…なるほど」

僕は今日までのことを振り返った。するとフッと、ある言葉が閃いてきた。

 「あっ!普通とは、◯◯を◯◯に◯◯ることです!だから、むずかしいんですね!」


禅問答:答え「普通とは、◯◯を◯◯に◯◯ること」


『うむ、おぬしはやはり見処がある。明日の朝六時に来るとええ。ワシは稽古しとる』

「ありがとうございます!」

『ふむ、ところでカズキ。ウソの方は最近、瞬発的に出ておるのかい?』

「…えっ!?ウソのことなんて全く意識していませんでした。最近は失敗しても隠さず謝りますし、過去のことで咄嗟に詰め寄られても、きちんと「すみません」といっていました…ね」

『うむ』

 老師の言ったとおりだ。以前の僕は、〈ウソはつかないよう〉と意識していたが、それをふいに忘れた頃、なにかミスをしたり突然叱られた時に、びっくりしたその拍子に、パッと隠したり、ポロッとウソが出たりしていた。それがここ最近は一切無くなっていた。整理・整頓のことばかり意識していて、ウソのことは一切意識していなかったのはまちがいない。

『咄嗟に出るウソは、そういうもんじゃよ』

「老師、本当にありがとうございました!!!失礼します!」

『ふむ』

 こうして僕は、電脳山 養心寺 山門前道場に通うこと約一年、ついに老師が武道の稽古をつけてくださるところまで来た。長かったような、短かったような、色々なことだらけの一年間だった。僕は高鳴る胸を抑え、家路についた。



(カズキの修行は続く)

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